南山城村のお寺
真輪院
分類 真言宗大覚寺派
名前

峰榮山 真輪院

  しんわいん
公式HP  
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住所   〒619-1412 京都府相楽郡南山城村南大河原湯矢畷90
電話   TEL:
ご本尊   釈迦如来坐像
例祭日    
駐車場    
特徴  

真輪院 明治43(1910)年に、北大河原の真蔵院と南大河原の十輪寺とが合併し、それぞれから1字ずつとって新しい寺院名となって誕生した寺院です。真蔵院は、江戸時代初期に開かれた真言宗の寺院です。十輪寺は、柳生友矩の菩提を弔うために、柳生宗冬が正保4(1647)年に創建しました。剣豪・柳生宗矩は、柳生藩初代藩主にして将軍家兵法指南をつとめました。息子には、十兵衛、友矩、宗冬らがいます。友矩は、将軍家光から大名になるよう再三すすめられましたが、若くして亡くなりました。弟の宗冬は友矩の死を悲しんで、十輪寺を建てたとのことです。
十輪寺じゅうりんじ跡〔柳生やぎゅう友矩とものりの墓〕十輪寺じゅうりんじは、柳生宗冬(柳生家三代藩主)が父宗矩むねのりの死後4千石を領した時、その領地に含まれていた南大河原村に兄友矩とものりの菩提を弔うために建立したという。柳生やぎゅう友矩とものりは宗矩むねのりの次男として生まれる。母は京都の烏丸家の出であり、慶長八年の生まれ、幼名を左門と称し、文武両道に優れ容姿端麗で十五歳で将軍家に仕え、寛永十一年(1634)六月、二十二歳で徒士頭、同八月刑部少輔友矩とものりとなった。その年十一月二千石を受け、高尾・大河原を治めた。家光の側近の一人として破格の出世をするが、あまりに家光に近すぎたため父の怒りにふれ柳生の里に謹慎、病床につく。その後寛永十六年六月に二十七歳の若さで没した。現在真輪院しんわいんの東側に石碑も残っている。

春光寺 1